117絵と写真
今までに絵が欲しいと思ったことはなかった。写真家だから?いやそういうわけではなく、ただ欲しいと思う絵がなかったのか、それとも絵のある生活を知らなかったのか。
もう15年くらい前になるかもしれないが、JRの仕事で宮城ゆかりさんというイラストレーターの方と仕事をした。
アートディレクターは服部一成さんだ。
宮城さんの描いた様々な絵を海や森に貼ったり置いたりして、絵のある風景を撮った。
今でもそのポスターの仕上がりはとっても好きだ。
その宮城さんの新作をインスタグラムで見るようになった。
テーブルの上に山がある。シンプルな色の線で描かれた作品で、それがどうしても欲しくなり、個人的にメールを送って譲っていただいた。そしてそれを部屋に飾った。
初めて自分の家に絵を飾った。
それから半年して、愛犬のガンタを描いて欲しいと無理にお願いし、二点目の絵が届いた。
それも飾った。
すると、ちいさな二枚の絵があるだけなのに、部屋がもっと暖かくなった。とっても暖かだ。
僕は写真家だから、部屋にも廊下にも写真をたくさん飾っている。写真は空気をピンと張りつめる感じがする。それが好きだった。
でも、この暖かな感覚になんとも言えない心地よさを感じている。
この小さな絵がどうしてこんなにも気持ちを暖かくするのだろう。
今日、写真美術館に荒木経惟さんの展覧会を観にいった。好きな作家だ。ほぼ一度は見たことのある作品のオリジナルが並ぶ。
しかし、今まで見たときのような興奮はなかった。ただ悲しくなった。切なくなった。怖くなった。
でも、やはり美しかった。それは彼の愛という気持ちが作品に滲んでいるからだと思う。
僕の部屋は今とっても温かい空気に入れ替わっている。それは宮城さんの絵の力だ。
写真は化学だから絵に比べてどこか冷たい。
たとえどんなにいい笑顔の写真でも、その物質としての感覚が冷たい。
僕には絵を描く力はない。デッサンなんてやったこともない。
だけど僕は自分の癒されたい気持ちや穏やかな気持ちを写真と言う表現に込めたいといつも思っている。
ただ、写真と絵とはまったく違う。感覚が全く重ならない。
いつか僕の森や海を撮った単純な作品が、宮城さんの絵のように誰かの部屋を暖かくしたり優しくしたら、どんなに幸せだろうか。
そんな幸せな写真が撮れたなら、アートなんて言葉は返上したいと思う。
写真家なんていう肩書きも捨てようと思う。
でも絵でも写真でも「美しい」ということは、その描写そのものではなく作者の気持ちの滲み方だ。
そこに自分が写真を撮り続ける意味を見出したい。写真という空に虹をかけたい。
LEICA MP 50mm
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